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子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。(その3)

 投稿者:責任者の憂いと戸惑い  投稿日:2013年 9月 7日(土)01時44分59秒
返信・引用
  題:子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。
                 (その3)

 南北戦争後のアメリカ南部には、
 黒人を虐げ、殺す暴力集団=KKK(クー・クラックス
・クラン)という組織ができ、
 またそれ以外にも、
 「黒十字騎士団」や「白バラ騎士団」や「白ツバキ騎士
団」など軽蔑すべき集団ができました。
 この様な、黒人の方たちを暴力的に虐げる秘密結社が林
立しました。
 黒人の方達へのテロが横行する暗黒のアメリカに化して
行きました。
 黒人の方たちは、白人優越=黒人蔑視の人種差別に耐え
抜くしかありませんでした。
 しかし、
 黒人の方たちは耐え忍んだとしても、
 黒人と白人の関係改善の社会の動きは、
 それらの動きに対して、耐え抜く事が出来ませんでした。
.
 奴隷解放の動きにあった共和党でさえ、
 何と、分裂し、
 民主党と手を結び事態を悪化させました。
 黒人の方たちの期待は、完全に裏切られました。
.
 解放民局は活動を停止しました。
.
 そしてまた、
 反動的な「大赦法」という法律がが成立しました。
 その法律によって、
 黒人奴隷を虐げた旧南部の支配階級の政治的諸権利が全
面的に復活しました。
 旧組織人たちの追放は、完全に解除されました。
 このことにより、
 以前の虐げ状態に戻りました。
 南北戦争の黒人奴隷の方たちの働きは無に帰してしまい
ました。
 事態は、完全に悪化し、決定的となりました。
 民主党が、選挙で議会の議席の多数を制しました。
 これは、奴隷解放の民主的再建の終焉を意味しました。
 そして、
 続いた大統領選で面倒なことが起こりました。
 この解決のため共和党は、
 南部に駐屯していた連邦軍を撤退することで事態の解決
をはかりました。
 南部は、民主党の支配下にゆだね、黒人の方たちの期待
は完全に裏切られました。
.
 南部の再建運動は、完全に挫折となりました。
.
 南北戦争は、そして、その戦争で亡くなった方々は何だ
ったのか?
 また、
 黒人の方たちの頼りだった北部も、
 独占資本家による厳しい状況から、労働者のストライキ
が続出し、軍が出動しなければならない状況でした。
 黒人の方たちは、
 北部の独占資本家と南部のプランテーション経営者との
連合支配下に置かれるという「より厳しい状況」に置かれ
ました。
 (北部の独占資本家にとって、南部は有望な国内市場と
映りました)
.
 黒人の方たちは、強靭さがより増した圧迫状況に、また、
置かれてしまいました。
.
(参考-1):wikipediaより
 リンカーンは、
 奴隷解放宣言によって黒人(混血のものも含む)の奴隷
を解放したことで賞賛される。
 しかしながら、
 リンカーンは、本来、奴隷解放論者ではなく、
 実際には連邦軍によって制圧された南部連合支配地域の
奴隷が解放されただけであって、奴隷制が認められていた
北部領域では奴隷の解放は行われなかった。
 宣言は、南部州における奴隷の反乱・逃亡・ボイコット
の効果を狙い、実施されたものであった。

(参考-2)
 アメリカは、1789年に合衆国憲法制定(「3/5条項」や
奴隷貿易存続などを承認したことにより、憲法が黒人奴隷
制度を容認した)。
 1793年、逃亡した奴隷は殺しても良いという条項もあ
る逃亡奴隷取締法が成立。
 そして、アメリカの事実上の奴隷解放は、1865年の憲
法修正第13条(奴隷制度廃止)の成立時である。
 そして、1868年の憲法修正第14条(黒人の公民権付与)
の成立時である。
 そして、1870年の憲法修正第15条(黒人の選挙権付与)
の成立時である。
 デンマークは、すでに、1802年に、自国領内での奴隷
貿易を禁止し、イギリスは、1808年に、奴隷貿易を禁止し、
フランスは1819年に、奴隷貿易を禁止している。
 1850年には、アメリカは、いっそう強力な逃亡奴隷取
締法を制定している。
 1860年にリンカーンが大統領に当選し、1865年に、リ
ンカーンが暗殺されおり、この年に、悪名高い黒人殺戮集
団KKKが結成されている。尚、1924年頃には第2次KK
Kの活動が盛んになっている(会員数は約500万人)。
.
(参考3)1860年に出されたリンカーンの予備宣言は、
南部諸州が治安回復に努めるならば、奴隷解放の必要はな
いと明記されている)

(参考4)北部軍が戦いで占領した地の南部軍の奴隷をど
うするかについて議論がなされた。
 北部軍の将軍の名に、その奴隷を解放するよう指令をし
た者も居たが、リンカーンはそれを取り下げた。
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 
 

子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。(その2)

 投稿者:真実を求めて  投稿日:2013年 8月24日(土)00時11分11秒
返信・引用
   題:子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。
                   (その2)
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 リンカーンも仕方なく、国会の動きもあって、
 奴隷解放予備宣言を公付する事に踏み切りました。
 (注:1860年に出された予備宣言は、南部諸州が治安
回復に努めるならば、奴隷解放の必要はないと明記されて
いる)
 しかし、
 この時点に於いても、
 リンカーンは、奴隷の即時、無条件、全面解放をためら
っていました。
 宣言に、布告に縛(しば)られない例外地域を作ったり、
反乱してない地域は含まれないなどと例外規定を作ったり
していました。
 この後、2年も続く血みどろの戦いを経て、
 黒人の方たちの目覚ましい戦いぶりも加わって、
 1865年に憲法修正第13条が制定されるまで、
 リンカーンの不決断の影響は続きました。
 この憲法に及んで、やっと、
 このアメリカ黒人奴隷の方たちは自由を勝ち取りました。
 しかし、悲しいかな、
 これもつかの間の事でした。
 黒人の方たちのこの戦争における果たした役割は目覚ま
しい働きでした。
 それは、
 北部の軍事的勝利を最終的なものに導いた原動力の中で
も、
 際立って大きく重要なものでした。
 それは、
 黒人の方たちが、決してこの戦争を「白人の戦争」と考
えていなかったことに由来しています。
 その働きに至る一つの査証・1事例が、
 ニューヨークの黒人たちが、
 北部軍に参加して、戦うために、自分たちで軍事組織を
つくり、軍事訓練に励みました。
 そしてそれらは、
 リンカーンの黒人の軍隊参加の不決断に対する行動でし
た。
 ボストンでは、
 黒人集会の宣言:
 「私たちは、すでに用意が出来ています。私たちは、私
たちの生命と財産と名誉をかけて、自由のために、良き市
民として、
私たちの政府を守る覚悟が出来ています。
 私たちは、みなさん に、このことを訴えたいのです」・
・・と、宣言しました。
 しかし、
 リンカーンは、黒人の軍隊編入をためらい続けました。
 リンカーンのためらいに、しびれを切らした、多くの黒
人奴隷の方たちが、
 北部軍の将軍の元に馳せ参じる事態が起きました。
 そして、
 その多くの黒人の方たちは、
 戦争のあらゆる軍務に挺身しました。
 (てい‐しん【挺身】 [名](スル)率先して身を投げ出
し、困難な物事にあたること)。
 この時点になって、
 やっと、
 リンカーンは、
 黒人の軍隊編入を承認しました(これを「事後承認」と
言います。「後追い承認」とも)。
 しかし、黒人兵は、
 白人兵の給料の半分などと、さまざまな差別を受けまし
た。
 それでも南部軍に捕えられると殺される黒人兵士は、
 白人兵士にみられないほどの果敢な働きをしました。
 可哀想な事に、
 黒人兵士の死亡率は、
 白人兵士の死亡率より35%も高かったのです。
 厳しい戦況の中におかれたのかもしれません。
 1865年、4年に渡った南北戦争も終結しました。
 ここには、
 初めに黒人を「目覚めさせ」、「希望を与え」、そして、
「まとめ」、「指導した」、黒人の黒人解放戦士『フレデ
リック・ダグラス』が、これらの根幹に存在しました。
.
 子供たちの「リンカーンの伝記は間違い」なのです。
.
 リンカーンが、黒人を解放していないことがお分かり戴
けたと思います。
.
 子供たちの伝記は、書き直しの必要があります。
.
 リンカーンは、1865年、ブースという凶漢の手によっ
て殺され、生涯を閉じました。
 しかしここで、
 卑劣な事ですが、
 この南北戦争の後、
 黒人の方たちの戦いの血によって勝ち得た「黒人奴隷の
解放」という輝かしい成果が無に帰して行きました。
 敗北した南部の諸州は、
 次々に自前の『仮の政府』を組織するという事態が発生
しました。
 こともあろうに、
 旧奴隷所有者は、政権へ復帰して行きました。
 そしてまた、
 こともあろうに、
 奴隷制の復活の企てをしました。
 それを示す1事例、
 サウスカロライナ州の憲法制定会議での演説は最悪です。
 「これは白人の政府であり、白人だけの目的としたもの
である。最高裁判所は、黒人はアメリカ市民ではないとの
決定を下している」・・・と、公然と述べています。
 また、
 フロリダ州では
 「解放令によって、黒人奴隷は、自由の身になったと宣
言されても、黒ン坊はどっちみち奴隷みたいなものだ」と
の軽蔑すべき声がある様な有様でした。
 この様な中で、
 悪名高い「黒人法」がつくられました。
 この法によって、
 黒人の方たちに、多くの制限が加えられ、
 黒人を土地に緊縛(きんばく)し、
 強制労働や不払い労働に服させる結果となりました。
 そして、
 黒人の方たちを経済的に締め付けました。
 (アメリカでは、現代でも黒人の方たちへの人種差別や
偏見の改善闘争が続いています)。
 この様な様相の底流には、キリスト教によって強く洗脳
された「黒人の方達への偏見」があります。
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。(その1)

 投稿者:真実を求めて  投稿日:2013年 8月22日(木)12時42分46秒
返信・引用
  題:子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。
                   (その1)
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 リンカーンは、「黒人奴隷を解放した」と言われていま
すが、間違いです。
 彼には、黒人奴隷を解放したいという希望や意志は全く
ありませんでした。
 リンカーンの黒人奴隷解放の意思は、「事の成り行きか
ら持った」という状態でした。
 その様に仕向けたのは、
 黒人の黒人奴隷解放戦士『フレデリック・ダグラス』で
した。
 また、その組織の働きかけがあったから、その方向に流
れただけです。
 これが真実なのです。
 子供たちの伝記には、『間違いが書かれております』。
 正しい内容に書き換えられなければならないのです。
 キリスト教には、「黒人は人ではない」とみる歴史があ
ります。
 この様な見方に影響された人々がしたことは、
 黒人の奴隷解放に一旦ちょっぴり傾いても、至っても、
直ぐに『自分たちの利』にとらわれて、元に戻ってしまう
という事でした。
 悲しいかな、黒人の方たちは、
 「人間ではない、奴隷という原罪」があると理由づけら
れた考え方をされていました。
 特に、
 アメリカ南部は、現在も「バイブル・ベルト」と言われ
ている様にキリスト教徒が多い地帯。
 ここの地に、黒人奴隷の悲しい歴史が刻まれました。
.
 奴隷制は、疑問なく容認する考え方の地でありました。
 キリスト教聖書に説かれている奴隷制、アメリカ南部の
人達は、当然のごとく、奴隷制を容認し、黒人の方達を奴
隷として虐げました。
 そして、この南部の奴隷制寡頭勢力は、(かとう‐せい
【寡頭制】 少数者が権力を握って行う独裁的な形態)、
 自分たちの利が脅(おびや)かされるに及んで剣を引き
抜き南北戦争を起こしました。
 自分の意に合わない相手を殺す教義「異教徒は殺せ」の
教義のままに「考え方の違うものは滅ぼせ」の教義どおり
の行動となってしまいました。
 その様なアメリカの中でも共和党は、アメリカ全土の奴
隷制反対勢力が応援し、育て、そして、強固にした党でし
た。
 (ちなみに、民主党は、奴隷制を容認する党です)。
 くすぶりの中にあったアメリカは、1861年に南北戦争が
起き、リンカーンはこの年に大統領に就任しました。
 後代の歴史家が「南北戦争は奴隷解放戦争」と位置付け
していますが、、リンカーンの大統領就任演説は、「奴隷
財産を擁護する論理展開をするという演説」でした。
 何と愚かな演説でしょう。
 奴隷制について、反対するか賛成するかわからない州が
存在したからと言い訳する人たちもいますが、リンカーン
のその後の行動からみても「彼は奴隷解放の大統領」とは
言えません。
 南北戦争の戦況は、
 リンカーンの奴隷解放への意思がなく、不決断もあって、
また、軍の首脳部の腐敗もあって北部軍は敗北が続きまし
た。
 北部のシンボルである首都=ワシントンが、陥落する危
機に、さらされる緊急事態にもなりました。
 この状況を救ったのが、黒人の黒人奴隷解放戦士『フレ
デリック・ダグラス』でした。
 奴隷解放に不決断だったリンカーンは、黒人の軍への参
加をも容認していませんでした。
 フレデリックは、
 「黒人奴隷も、自由黒人も、黒人を軍務につかせよ」・
・と、訴えました。
 「奴隷に対する自由が、今こそ国会議事堂から全戦場の
砲焔の空高く宣言されなければならない」・・と、叫びま
した。
 「黒人を軍務につかせよ、そして黒人解放軍を組織せよ。
かれらは南部に進軍し、奴隷たちの間に解放の旗を揚げる
であろう」・・と、世論に訴えました。
 愚かにも、
 首都ワシントンが陥落の事態になっても、
 リンカーンは、
 「黒人奴隷は漸進的に解放したい、
 一気に解放という事はしたくない」の意思でした。
 また、リンカーンは、
 卑劣な事に「解放された黒人はアフリカかどこかに植民
させたい」と考えていました。
 黒人の方たちを捨てるということです。
 「棄民」の考えです。
 当然、黒人の方たちからは、強い反対の声が沸き起こり
ました。
.
(追伸)
 本シリーズを書き始めるにあたって・・・、
 今のアメリカの原点は、独立戦争で勝ち得た国の形と共
に、
 そして、第二の大切な原点が、
 「現在のアメリカ政府をたどって行くと、『南北戦争時
の北軍政府』へと行き着く」。
 それ故に、アメリカは、
 当時の北軍の最高の位置にいた『リンカーン大統領』を
誇りとし、
 この時の理念を「美しくしていたい」という気持ちが強
い。
 それ故に、そのリンカーンに関して、
プロパガンダ(嘘宣伝)する点が少なからず見られ、存在
する。
 そのプロパガンダ(嘘宣伝)されたために見えない「隠
された真実」は、
 世界の善良の方達のために、
 明らかにされねばならない。
 明かされなければならない。
 それは、回り回ってアメリカ合衆国のためにもなり、
 また、これからの人類の行く末にも貢献すると確信する。
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
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酋長の想い

 投稿者:責任者の憂いと戸惑い  投稿日:2013年 8月19日(月)02時36分33秒
返信・引用
   題: 酋長の想い
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)

.
スー族酋長のことば
  (アメリカ開拓民と遭遇した
           先住民スー・オグララ族の言葉)


広々と 開かれた、
 どこまでも 広大な 平原や、
 ゆるやかに 起伏を描いていく なだらかな丘や、
 曲がりくねって 流れていく 小川は、
 わしらの目から見れば、
 少しも 野蛮では なかった。

 ただ 白人だけが、
 自然を 野蛮だと 思っていた。
 ただ 白人にとってだけ、
 大地は 「荒れ果て」、
 動物たちは 「獰猛で」、
 そこに住む ちっぽけな人間どもは 「野蛮」だったのだ。

 わしらには、
 大地は 優しく、
 寛大だった。
 わしらにはそこに、
 「大いなる神秘」の 恩恵に 満たされながら、
 生きている。

 そういう大地が 「野蛮」になってしまったのは、
 東部から 毛深い人間どもが やって来て、
 気違いじみた 乱暴さで、
 わしらや わしらの愛する 家族に、
 不正を 重ねてからのことだ。
 そのとき 以来、
 彼らが近づくと、
 森の動物たちも、
 こそこそと 尻尾を巻いて、
 逃げだした。
 わしらの土地が、
 「野蛮な西部」などと 呼ばれるようになったのは、
 その頃からの ことなのだ。
     ・・ 「インディアンの言葉」 紀伊国屋書店

☆ キリスト教の理想的世界を実現しようと
 新大陸に渡ってきたピューリタン
 勤勉を美徳とする ピューリタン精神
 初期の移住者は
 当初
 アメリカ土着のインディアンと
 和平条約を結び
 生活の仕方を教えてもらい
 学ぶが
 その恩も なんのその
 その後
 西部開拓における
 インディアンの殺戮行為を
 行うこととなる。

☆追記
  ( メイフラワー誓約 :アメリカ最初の憲法 )
 最初にアメリカにやってきた人々
 キリスト教信仰の自由を求めてやって来た人々
 ピューリタンによってつくられた
 最初の憲法は
 アメリカ原住民を欠いた
 また
 アメリカ原住民の意志の
 全く入っていないもの
 条文主旨は
 キリスト教信仰のため
 植民地を 建設したい とする
 キリスト教の神が介在する 契約としている
 条文内容は
 アメリカ原住民に配慮した記述は
 全くない
 憲法作成者たちだけで
 都合のよい国を
 つくりたいと 誓っている
 そして
 その公平性と 平等性を 誓っている。
 アメリカ原住民が欠けた
 この契約は
 共同して
 結果
 土地を収奪し
 自分たちだけで
 都合のよい植民地を
 得たい・得よう との感じに
 なっている
 この契約に 参加している人たちは、
 多数決主義を とっているが
 乗船者数100名以上のうち
 本契約参加者数は 41名と多数を
 形成していない
 また
 契約した人たちの国は
 イングランド(英国)だけでなく、
 フランス
 アイルランド
 スコットランドと なっているため、
 特に 契約が必要と感じたのだと思われる
 (同船したけれど・・)
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
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幸せを感じた 話

 投稿者:父の背で  投稿日:2013年 8月18日(日)02時24分15秒
返信・引用
   題: 幸せを感じた 話
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)

幸せを感じた 話 :

   町をゆっくり
        考えながら
                歩いていると、
     どこからともなく
                 可愛い幼い子の声。

     「あーぅあーぅあーぅ」。
                     リズムもある。
     ゆっくりした、
          可愛いその声は
                  近くに聞こえている。
                     そして、
                   近づいて来ている。

    幸せな図は その後に見られた。

    すれ違った男の人の
                背に
                  可愛い声の主は居た。

    小さい幼子は
          お父さんの背に
                  すっかり隠れていた。

    お父さんの背で
           背負い帯の中で
               大の字になり、
                     顔を上に向け、
    お父さんの
         ゆったりした歩みの
                     リズムと、
             背負い帯の
                  クッションが
      幼子に
          心地よいリズムと
                     揺れを与え、
      父の背に居る
               安心感と共に、
         この可愛い
              心地よい声は
                    発せられていた。

    そして、
       その声は
           父へ語り掛ける様にも聞こえ、
                父と子の会話・
                     心の通い合い
                         と共に
           声は
                遠ざかって行った。

       幼子の
          心からの満ち足りた声の
                     余韻が残った。

     行き着いた
           先で、
             その事を話すと、
                   ひと頻り
                   話が持ち上がり、

         みんなで幸せな
                   気持ちになった。
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

毎晩・・母にぬくめられていた石・・

 投稿者:母の愛  投稿日:2013年 8月12日(月)13時14分39秒
返信・引用
  ☆題 : 《毎晩・・母にぬくめられていた石・・・
               思わず涙した記事・・・》:

 どんな薬より母の「手当て」の効く時期が、わが娘たちにも
あった。
 手当とは文字通り手を当てるだけのこと。
 ただ、はああっと息であたためてから「治る治る」とおまじ
ないをして当てるところがミソであった。
 夜中にせき込んだときには、抱き寄せて胸と背中を挟んで擦
った。
 体温を移すようにゆっくりと。
 静かに呪文を唱えながら。
 娘の小さな体がぽおーっつとあたたまっていく。
 私も少しずつ汗ばんでいく。
 母娘の体温が同じになるころ、娘は再びくったりと寝入って
いる。
 朝まで様子をみて、寝起きが悪いようなら医者へ。
 だが、そのままけろりとしてしまうこともまた多かった。
    (中略)。

 『 神棚に ははの抱寝(だきね)の 小石凍(い)つ
               小原啄葉(たくよう) 』。

 この句は句集「不動」所収。
 「戦地の兄の姿に似た石を川原から拾つてきて、母は毎晩抱
寝してゐた」と添え書きがある。

 毎晩母にぬくめられていた石。
 兄の姿に似ていても石なのだから、一晩中ぬくもらなかった
日もあったろう。
 石を懐に母は何を思っていたか。
 その石が、母亡き今もこの世にあって、氷より冷えているの
だ。

 「不動」は作者の第8句集である。
 あとがきに「戦争体験の作品も若干加えた。・・・、事実は
事実として百年先のためにも遺しておきたいと思った」とある
ように、
 「初夢や自決の弾をひとりづつ」をはじめ、思わず姿勢を正
す句があまた収められている。

 母の祈りは届かず、兄は遺骨となって還った。

 「かぶさりて母が骨抱く稲埃(いなぼこり)」
 遺骨が石よりあたたかかったということはあるまい。

 「兄嫁がまた藁塚へ泣きに行く」
 えにしで結ばれた人が血縁以外にいたのは、幸いであったと
も言えようが。

 「咳止めと母に抱き締められしこと」
 生身の子を抱き締めた母と、抱き締められた子。

 いにしえから繰り返されてきた母と子の至福のときが、この
母にあったことをなによりと思いたい。
                  俳人・高田正子氏
                   (日経2011・1・22)

   (「静かに呪文を唱えながら」
   ・・幼子の体温を感じながら、
     小さくせき込む幼子の動きまでも、
     敏感に思いやりの心で感じながら、
     ただただ母は
     幼子の平癒を祈っていたのだろう。

   ・・静かな夜のしじまの中を
     母の体温以外の
   ・・心からの温かさも
   ・・子に伝わって行った
             のだろう。

    また、その様にして
     成人した子が
   ・・兵となって
     寒い中にいると
     心を痛めた母は
   ・・何も子に
     起こらないようにと
         祈った。
         祈り続けた。

     かつての時の中に「今は亡き母」も居た。
     母の祈りは通じず、
     胸で温めてきた子は
     兵として 逝ってしまった )。
        (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

たとえ、言ったとしても・・。

 投稿者:やまもとさんた  投稿日:2013年 7月31日(水)13時43分57秒
返信・引用
   題: たとえ、言ったとしても・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖書の(「マルコによる福音書」6・1~6)に、
 故郷のナザレに帰ったイエスに、故郷の人が、イエスについ
て言う、
 「この人は、大工ではないか、マリアの息子ではないか」と。
 多分、イエスが大工だと知ってて、母親のマリアの家族も知
っているので、近所の人なのだと思われる。
 イエスの父親のヨセフが、大工ということは、有名なので、
誰でも知っているだろうが、
 イエスも、父親と同じ大工だったという事が分かる。
 後を継いだのだろう。
 この発言をした人は、イエスを良く知っているので、近所の
人で、大工仕事を、イエスに発注し、頼んでいたかもしれない。
 イエスも、この人の様な人から、賃金を貰(もら)って、生
計(せいけい)をたてていたのだろう。
 ヨセフが、どうやら、早死(はやじ)にしている様なので、
マリアや兄弟・姉妹は、イエスの賃金をあてにしての生活だっ
たのだろう。
 マリアは、ユダヤ教の神殿のエルサレム神殿に、一番安い供
犠(くぎ)である鳩を持って、御参(おまい)りに行っている
ので、家計は楽な方ではなかったと考えられる。
 イエスは、長男で、兄弟・姉妹も多かったので、イエスの肩
には、この多くの家族の重責(じゅうせき)・責任がかかって
いた。
 しかし、イエスは、どうやら「仕事に精を出す」ような人で
はなかったようだ。
 イエスは、遊行(ゆうこう)する人と言われている。
 その分、母・マリアが、イエスの肩代わりをして、働かねば
ならない状態になっていたと考えられる。
 イエスの大工仕事は、現代の大工さんの仕事の様な「家を建
てる仕事」ではなく、
 イエスは、「家具や農具の製作や修理を生業(すぎわい)」
にしていた。
 イエスは、「托鉢(たくはつ)」はしていないので、この大
工仕事が、主な収入源だったようだ。
 しかし、毎日、仕事に精を出すということではなく、時折
(ときおり)、仕事をし、遊行するという身分であった。
 本当は、家族も困っていたのではないかと思われる。
 その所を、イエスは、しっかり語っていないので、ある意味、
うやむやなので、本当に家族に対する責任感があったのかは不
明、疑問は残る。
 多分、イエスの行動から判断すると、母親のマリアの肩に、
マリア一人に、一身に家計を支えるという重責が、掛かってし
まっていたのだろうと思える。
 この様な状態の中で、イエスと、「弟子」と言われたかは不
明だが、「現代では弟子と言われている」仲間たち(実態は、
弟子がイエスを叱ったりしてもいる)と、エルサレム神殿の前
でお店を開いている民の店を、壊(こわ)すという、大暴れを
演じている。
 イエスが、マリアの家の近所だったのだろう、その場所で
「病気癒しをしているところ」に、母・マリアや兄弟・姉妹が
駆けつけるという事態・事件が起きている。
 母に心配をかけるイエスという状態。
 少なくとも、イエスと「母・マリアや兄弟姉妹」との間は、
「意思の疎通(そつう)を欠く」状態だったと言える。
 少なくとも、イエスは、「家族の理解を得られない中の活動」
をしていると言える。
 家族が、「『逮捕』という言葉を使うような行動」を起こす
わけがない。
 イエスは、家計を心配し、責任を果たすべき長男であるが、
その「家計の責任は放り出し」ている。
 またそこも、誰へも納得させずにいるイエス。
 「筋の通った説明」をして、「そうしてから、活動をする」
ということを「してない」イエスだと言える。
 弟子達も、ある時、言う。イエスは、弟子たちから、「今ま
で、あなたに(従順に)従って来たのだから、わたしたちに、
何をしてくれますか?」などと聞かれている。
 何ら、イエスは、家族もそうだが、弟子達へも、しっかり理
解を得られるような行動をしていなかったと言える。
 例(たと)え、言ったとしても、「理解を得られるように話
すことが苦手(にがて)」なイエスだったと言える。
.
(参考)く‐ぎ【供犠】 神に、いけにえを供える宗教的・呪術的
(じゅじゅつてき)儀式。また、そのいけにえ。きょうぎ。
(参考)じゅう‐せき【重責】 重大な責任。「―を果たす」
(参考)ゆう‐こう【遊行】 [名](スル) 1 遊び歩くこと。
「外国に―して一時歓娯を極むるに似たれども」〈織田訳・花
柳春話〉 2 さまようこと。
(参考)すぎ‐わい【生業】 生計のための職業。なりわい。
(参考)たく‐はつ【托鉢】 [名](スル)僧尼が修行のため、
経を唱えながら各戸の前に立ち、食物や金銭を鉢に受けて回る
こと。
(参考)とき‐おり【時折】 [副]ときどき。ときたま。
(参考)そ‐つう【疎通/疏通】 [名](スル)ふさがっている
ものがとどこおりなく通じること。また、筋道がよく通ること。
「意思の―を欠く」「意思が―する」
(参考)にが‐て【苦手】 [名・形動]  得意でないこと。また、
そのさま。不得手。
(参考)せいけい‐ひ【生計費】 生活を維持するために必要な
費用。生活費。
    (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

当時の、特殊事情の説明・話で構成されている

 投稿者:やまもとさんた  投稿日:2013年 7月28日(日)01時46分29秒
返信・引用
  題:当時の、特殊事情の説明・話で構成されている
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖書は、「昔はこの様な状況でした」と説明す
るにすぎない本です。
 例えば、(「マルコによる福音書」2・1~12)には、中風の
病気の人が、イエスに癒(いや)されたという話があるが・・、
 これは、古代の当地では、何かその人が悪い事をした報(む
く)い、古代の当地で、決められていた律法を犯したことが、
そうした形で出て来たのだと思われていた。
 悪いことをしたから病気になるという、悪いことをした原因
の結果、病気になるという『因果律』の考え方だった。
 イエスも、この様な『因果律の考え方』を持ち、そう思って
いて、その『因果律の考え方の結果』から行動を起こす人だっ
た。
 また、当時、その人が悪い事をしてないと思っても、先祖の
人が、何か悪い事をしていれば、その結果が色々な病気などの
不幸となって現われてしまうのだ(報い・むくい)ともされて
いた。
 つまり、先祖の報(むく)いが子孫に仇(あだ)となって表
れたと考えられていた。
 このイエスの考え方は、原始の古代時代には良くある『古い
考え方』だった。
 ユダヤ教は明らかにその様に考え、ユダヤ教のイエスもその
様な宗教性に捉(とら)われ、染まっている人だった。
 故に、イエスは、この考え方に則(のっと)って行動をした。
 今・現代の考え方とは、まったく違う行動パターンだった。
 そして、人間が罪を犯しているかどうかの尺度として律法と
いうものがあった。
 一番重要な当時の守るべきものと考えられていた。
 イエスもこの考え方から「病気癒しの行為」をした。
 それは、神から与えられたものと考えられており、
 また、神の命令とも考えられていた。
 そして、神との約束とも考えられており、
 神と交わされた契約なのだとも考えられていた。
 その中には、神と人間との契約以外に、人間と人間との契約
も含まれているというおかしな所もあった。
 その様な考え方から、守らねばならない契約として古代人の
この頃の人は『この律法』を重要視した。
 故に、その中風の本人か、または、その中風の人の先祖の人
かが、律法を破っていると考えられいて、この様な病気になっ
たとされた。
 律法を破っている者は、神に喜ばれない者であるとされ、そ
して、そう考え、この様に、律法は非常に怖い報いがあり、だ
から、その怖さから逃れたい、報いを避けたいという気持ちか
ら、律法は守らねばならないもの、守るべきものとされていた。
 イエスの活動は、この様な、古代の観念の中で行なわれた。
 以上の様な、現代には無い、色々な細々(こまごま)とした
事情の説明を受けない限り、そのほとんどが理解できない、理
解不能な、当時だけの特殊な事情の下(もと)での話だった。
 キリスト教の聖書は、この様な、古代の特殊事情の説明・話
で構成されていて、だからその当時の古代は、「こうしました」
と、その説明があるという本なのである。
 現代とは、まったく、異質な次元の話で、
 その特殊な事情ゆえ、
 今・現在では、何ら得るべき様な所は無いといえる。
 結局、古代の、針の先で突(つつ)く様な特殊な事情のもと
で、イエスが、その特殊事情で「ああした」「こうした」とい
う話なのである。役に立つような所はない。
      (詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
 

イエスは、「汝の敵を愛せよ」と言うが・・・

 投稿者:やまもとさんた  投稿日:2013年 6月23日(日)04時15分46秒
返信・引用
  題:イエスは、「汝の敵を愛せよ」と言うが・・・
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 イエスに「汝の敵を愛せよ」と言う言葉があると、言われて
いるが、
 この言葉が出て来る(「マタイによる福音書)5・43~44)
は、「隣人を愛せよ」という言葉もある。
 しかし、この「隣人」という言葉は、本当に、隣人の意味で
あって、
 キリスト教が、美しくプロパガンダ(嘘宣伝)で、広い意味
の愛だというが、まったくの嘘。
 だから、キリスト教は「愛の宗教」だと言うが、まったくの
嘘である。
 この「隣人」は、「極めて限定した人たち」という意味の隣
人で、
 「ユダヤ教の共同体」を指していた。
 しかもまた、「同じ信教を共有する人」という制限も付いて
いた。
 このキリスト教の「隣人愛」がプロパガンダ(嘘宣伝)され、
一人歩きし、広い愛だと喧伝され、間違われ、キリスト教もよ
く言うよ、臆面もなくよく言うという感じで来た。
 「隣人愛」と言ったって、自分たちだけの同胞だけの愛を言
っていて、やはり、キリスト教は、自分たち以外の民には「異
教徒は殺せ」の敵対の教義なのである。
 そして、イエスの言葉の「汝の敵を愛せよ」の後の言葉の、
「自分の迫害する者のために祈れ」は、イエスの言葉ではない。
 キリスト教は、特に、キリスト教だけが愛の宗教のごとくに
説くが、佛教も「慈悲」や「愛」を説いている。
 しかし、キリスト教の旧約聖書の教義には、マタイによる福
音書にも記されているが、「敵を憎めと命じられ」ている。
 実際、キリスト教の歴史は、愛と言うより、「異端狩り」
「異教徒狩り」「ユダヤ教徒狩り」「魔女狩り」「異端裁判」
「宗教裁判」「宗教戦争」「植民地の残虐な殺戮」などなど、
 愛の宗教と程遠い姿が満ち満ちている。
 「隣人愛」ノ「同胞・兄弟」への愛を説けば説くほど、同信
の同胞・兄弟以外の者に対する差別・猜疑・不信・軽蔑を誘発
したキリスト教の姿がそこにあった。
 そして、最後には憎悪へと変わって行った。
 自分たちの宗教を絶対化すればするほど、「キリスト教唯一
絶対主義」という形が、前面に出て来て、キリスト教の卑劣な
殺戮の歴史が現出した。
 「そうすればあなたがたは、天に居られるあなたがたの父の
子らとなるでしょう」と、自分だけの御利益を説くキリスト教
の教義があった。
 その報償・御褒美をちらつかせて、キリスト教は教義を説き、
悲惨な戦争・殺し合い・殺戮が、数多(あまた)現出した。
 そして、キリスト教の最悪の教義が、今現在も厳然と存在
する。
 「(キリスト教の)神の義があれば、人を誅しても良い」。
           (詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
 

じんるいをすくう

 投稿者:文学を志す  投稿日:2013年 6月23日(日)01時14分38秒
返信・引用
  題: 曽野綾子さんの話の「つづき」・後編。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の教義の性悪説的に生きていると、厳しい言い方
ですが「人生がうまくいきません」。
 性悪説的な考え方・思考では、人生を躓(つまづ)かせます。
 曽野綾子さんの考え方・思考についての事例を書かせて戴き
ましたが、
 キリスト教の聖書の中にも、その事例がありますので、以下
に書きます。
 キリスト教の聖書は、誤記が多い状況です。
 「誤訳だらけのキリスト教聖書」と言えます。
 その1事例になります。
 日本語に訳されているキリスト教の聖書の(「ルカの福音書 」
6・31)を見ますと、
 新改訳聖書(日本聖書刊行会発行)のキリスト教の聖書には、
「自分にしてもらいたいと願う通り、人にもそのようにしなさ
い」と訳されています。
 また、新共同訳聖書(1987年初版の日本語訳の一つ)では、
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」と訳さ
れています。
 また、口語訳聖書(日本聖書協会発行)では、
「人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそ
のとおりにせよ」と訳されています。
 日本語に訳されている聖書の3種類とも、その相互の違いは
ありませんが、だからと言って「間違っていない訳なのだ」と
思ったら間違いです。
 つまり、この総べてが、誤訳なのです。間違いの
(詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
 

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